ミノア29DCの「北海道から沖縄までの冒険」の成功で、タカさんとフィンランド領事館に招かれてから、早いもので2年の月日が経とうとしている。
あのレセプションでニューポート市長(女性)とも話をした。
ひととおりの挨拶と雑談の後、ペリー提督の話題が出た。
 
市長:"Do you know the statue of Perry?"
私:"Sorry, what is ぺうりい?"

この会話が致命傷となった。僕は聞き取りの能力が低く、Perryの発音がペリー提督の事であることがわからない。そのくせ通訳なんていない。
その直後、美人市長はにっこりと笑わらい、そこで会話が終わってしまった。撃沈だ。
後で「ああ、あのペリーのことか!」と分かったときは市長は既に会場を後にしていた。
日本男児として誠に面目ない事をしでかしてしまった。
「アメリカのオレンジ計画と大正天皇」(鈴木壮一)という本がある。
その冒頭に、ペリー提督が来日した際の1853年、本国へ
「イギリスの極東における勢力と拮抗するため、沖縄にアメリカ海軍基地を建設すべきである」
と書簡を書き送ったと記されている。ペリーの対日政策はその後、セオドア・ルーズベルトのオレンジ計画、大東亜戦争、沖縄戦、東京裁判史観に繋がっていく。
もちろん、僕はアメリカ人は嫌いではない。特にニューポートの人々はたいへん礼儀正しく知的でユーモアあふれる人たちだ。
しかし、アメリカ人の外交戦略の細心さと長期戦略を知るにつけ、日本人としてはペリーやハリスと聞いて喜んでばかりもいられないのである。
文句のひとつもいいたかったのに、馬鹿で言えなかった自分が情けなかった。
今だから言える話である。