2008年5月4日 最終日

03:30 起床
04:50 出航 

この海の家も漁港にいた人の知り合いの民宿だ。連休の真っ只中なので急に泊まろうと思っても宿はない。
「今日、どうするの?」
「船の中で泊まります。」
こうしたとき、漁港の人たちはとても親切だ。知り合いの民宿をあたってくれて宿泊する場所を見つけてくれたのだった。
漁港に急に入って船に横抱きしたりする場合には、どうしても早めに出航して迷惑をかけないようにするべきだ。

そこで、3時30分起床、4:00には港に入って待機する。朝はまだぼんやり霧がかかっていた。でも、そこはルキア号、海面が見えるようになったらもう止まっていられない。すぐに舫を解いて出航。

久々の快適な航海

朝のうちは霧だったがだんだん晴れてきた。波もおだやか。久々の快適な航海だ。ただ、燃料が問題だ。時間的には十分横浜を狙える。でも燃料は絶対に持たない。

銚子マリーナで給油したかったがマリーナは9:00から。そうなると6時までに横浜に到着することは確実に難しくなる。そこで、途中の漁港で給油することにした。

選んだ漁港は鍋島。この漁港は港湾案内では浅い。深度計で2.5m。慎重な対応が求められる。
鍋島に到着してデッドスローで堤防沿いを進んでいたらペラが重くなった。
<やったか?>
ととくちゃんと顔を見合わせる。後ろをみるとヘドロが巻き上がっていた。どうやらキールかラダーを海底に摺ってしまったようだ。今日は大潮。潮位が低い上にもともと浅い港。本来ならばプレジャーボートの船内機で入るところではない。その後プロペラの振動や舵の聞き具合に以上はなかったので一安心はしたが横浜に帰ったら点検が必要だ。

着岸する場所を探していると岸の方で手を振っている人がいた。ここに着けろと指示している。そこで慎重に着岸。セーフだった。
聞けば商船大学を出て本船に乗っていた方だった。今は引退して漁船に乗っているとのこと。本当にいろいろとすごい人が普通に港にはいらっしゃる。

「横浜まで70マイルではきかないな。夜になると危ないよ。外国船は海区が違うと赤と緑が逆になっていてときどき切り替えを忘れている。だから向こうに向かっていると信じきったらだめだよ。」
そうなんですよね。バリに行った時に逆に取り付けられていてこれはびっくり!と思った経験がある。

すぐにガソリンスタンドに電話を入れてくれて軽油を持ってきてくれた。
つくづく、つくづく、ルキアは幸運のボート。最終日にも親切な人が神のごとく現れた。
ドラム缶給油2

大潮で

岸壁からドラム缶での給油となった。なかなかおめにかかれない光景だ。

さあ、給油も満タン。横浜を目指す。海の状態もよい。
とくちゃん得意げ

白浜〜野島崎〜相模灘にかけては三角波が出る。なかなかスピードがあがらない。
白浜にはまた今度来てみたい。今日のところは写真だけで。
白浜

天候は快晴。まみちゃんは日焼けに落ち込んでいた。
快晴に


州の崎では波が正面から来る。非常に周期が短く5ノットくらいしか出なかった。
このペースでは横浜に6時は無理となるのでさらに一泊?と覚悟を決めようかと思ったがそこは東京湾。進むにしたがってうそのように波が低くなり、スピードも15ノットまで上がる。

東京湾には本船がうようよといる。タイミングを測って久里浜方面へ。

東京湾巨大プレジャーボートが増えてきた

さすがにここまで来るとプレジャーボートが多くなる。途中で他のプレジャーボートがたくさんルキアを追い抜いていった。競争しようにも足のレベルが違い、あっという間に引き離される。海が荒れていればルキアと差はつかないだろうけど。

いよいよ観音崎灯台が見えてきた。もう少しだ。
観音崎灯台

横浜ベイサイドマリーナは契約したけれども一度も外から見たことがなかったが、さすがとくちゃんがあの方角で間違いないと指示してくれた。
横浜ベイサイド入り口

横浜ベイサイドマリーナに入ると、なんと自分の番地を忘れてしまっていた。マリーナ内をうろうろしながら携帯で連絡して自分のうちを探す。他のオーナの方々には初日からご迷惑をおかけしてごめんなさい。
自分の家を忘れさ迷う

係留してすぐにご近所の人たちの歓迎にあった。
「おたるうう!すっごいねええ。おい、小樽から回航してきたって。まあ、到着ビールを」
ということで宴会になりそうだったが、事務所で手続きがあるため宴会は次回のお楽しみということでごあいさつだけに。
5丁目4番地到着

ということで、なんとか小樽〜横浜ベイサイドマリーナまで無事に到着することができた。

浜ちゃん、無事でしたよ。応援ありがとうございました。
師匠、陸からの情報支援ありがとうございました。
会社のみなさん留守中会社を守ってくださってほんとうにありがとうございました。
そして、
停泊した港々でほんとうに皆さんに支えられてここまでこれました。ありがとうございました。

海の楽しさもさることながら、人の温かさに触れることができた回航だった。
ルキア万歳。日本人万歳。