まみちゃんに乳がんの疑いがある。

まみちゃんの左胸にしこりをみつけた日、不安で一杯になった。この経験は3年間にもしている。そのときは単に水が溜まっているということで何事もなかった。
まみちゃんはひとりで乳腺外科に行き、検体をとったが水ではなく、今回は腫瘍だった。
この後、取り出した検体を調べて悪性か、良性かを判断した。

検査の結果が出るまでの一週間は長かった。悪性の癌かもしれない。きっと良性だ。いや、実は3年前からあったのではないか・・・。様々な思いが去来する。

これまで「わたしくらい幸せな人は世の中にいない」というのがまみちゃんの口癖だった。それが、生まれて初めて死ぬということを実感した。まみちゃんは
「死んじゃうとまーくんに会えなくなるのがいやだなあ」といって泣く。僕は何も答えることができなかった。その夜はふたりで泣いた。

検査の結果を知らされる日が来た。
病院は乳腺外科だけあって、ほとんどの人が乳がんの疑いや検診で訪れている。
順番に患者が診察室に入っていく。しばらくたつと、みんな「良性だ」といわれて診察室を出てくる。
みな安堵の表情。うちもきっとそうなる、と思った。

まみちゃんが診察室から出てきたときの表情は皆と違っていた。わずかに硬い。
「おどろいた・・・」
診察室を出てくるときに、横目で僕の顔をみて、ぽつりと彼女はつぶやいた。僕は落胆の表情を隠すのに精一杯だった。

悪性の腫瘍である疑いが強く、どうやら再検査が必要とのこと。かなり多めに検体をとり、再検査となった。
診察料を彼女は病院の待合室で深ぶかとぼうしをかぶり、一点を見つめて動かない。乳腺外科を出てふたりで手をつなぎ、家までゆっくりと歩いて帰った。

こんなことがあったので、僕はいつものようにこのブログを書けなくなった。

***

乳がんの治療方針についてじっくり話し合った。まみちゃんは次々にインターネットで調べる。いろんな書き込みがある。診断が下っただけで鬱病になってしまう人もいる。

乳がんは早期に発見すれば致死率が低い。だから大丈夫だと思う。
ただ、抗がん剤の治療は苦しいことが多い。
抗がん剤の治療のエビデンスについてみるとあまり効果が証明されているわけではないらしい。
そのうえ、乳がんになれば抗がん剤の治療で苦しくて死にたいと思うかもしれない。
抗がん剤治療についてもよくインフォームドコンセントを形成する必要がありそうだ。
放射線治療は・・・。
どこの病院で治療を受けるのが妥当なのか。
セカンドオピニオン、サードオピニオンはどうする。
これからはいろんな事を調べ、ひとつひとつ二人で意思決定をしていくことになる。

7月25日は葉山の日影茶屋で役員会を開いた。ゆかりちゃんに名古屋の本社から来て貰い、どうやら乳がんの疑いがあるので仕事のほうもそれなりに対策をたてなければならないことを話し合った。

これからの生活はできるだけ変えないで生きていくことを目標にした。
まみちゃんが最愛の友であり、同じ志をもって仕事に励んできたゆかりちゃんとはこれからもいっしょに仕事をしたい。
それだけではなく、できるだけ、いっしょにいる時間を長くしていきたい。

やりたかったこともやる。大型バイクの免許にもチャレンジする。仕事もこれまでと同じ。
まみちゃんが始めたすばらしいこの仕事を続けていくことが仕合せなのだから。
ただし、仕事もはのんびりと。

だから、今日も伊那、佐賀、松山と二人で移動しながらこれまでどおりの仕事を続けている。ちょっと豪勢に道後温泉で2泊はするけどね。

「ねえねえ、癌保険がさあ確実にでるんだよね。入院したらそのお金で特別室に入っちゃおか。」
「そうだな。あの病院だったら側にホテルがあるから通うのも楽だし、病室の横で開発の仕事もできるしね。」
そんな軽口もでるようになった。

僕も昨日くらいから、寝られるようになってきた。暗闇には魔物が棲む。ろくなことを考えない。でも、だんだん癌であるとを受け入れ、自分の役割を意識するようになる。

死を意識しながら生活していくことになったが、まみちゃんは同じように仕事をこなしている。
できるだけコントロールをしながら、体調をこわさないようにしていかなければ。そうすれば乳がんは恐れるに足らない。

これまでだって日ごろから死を意識しなかったわけではない。僕は父親を僕が18歳のときに癌で亡くし、母親は30年来血液の造血に問題を抱えた生活をしている。それでも、明確な事象をつきつけられると、やっぱり人生が永遠ではないことを知らされる。

しかし、誰にとってもそれは同じ。健康は誰にも無条件に与えられるものではない。
「私はぜんぜん後悔はないよ。」
とまみちゃん。僕もそれは同じだ。死ぬことが不仕合せなわけでもない。

***

今日は松山の道後温泉から飛行機で横浜に戻った。再検査の診断結果を伝えられる日だ。

最近の検査は精度が高く、ほとんど外れることはない。再検査はセレモニーのようなものだ。覚悟を決めて診察室に入っていった。
診察室から出てきて僕に伝えられた結果は「良性」。信じられなかった。こんなことがあるのか、と思った。

診察結果、細胞検査の結果やマンモグラフィーの検査結果を持って、明日横浜市民病院に行くことになった。
検査結果が良性ではあっても今後、乳房の切除は免れなさそうだ。ただ、そんなことは大きなことではない。今しばらく生きていけることが嬉しかった。

帰り道、
「光が違って見える」
とまみちゃん。
「悪性といわれても、良性と言われても泣けてくるな。」と僕。
「いっぱい触らせてあげるね」
「あはは」
僕は泣き笑い状態で、笑って答えるのがせいいっぱいだった。

僕達はこれまで癌になった人の気持ちがわかっていなかったことがわかった。今ある当たり前の人生が、当たり前ではなくなって見えた。
また二人で生きていける仕合せと有難さを噛み締めながら、これからもこの能天気なブログを書いていこうと思う。